弱者男性が自己責任と言い切れない3つの理由

弱者男性が自己責任と言い切れない3つの理由

弱者男性のことを「自己責任」と考えている方は多いのではないでしょうか。

実際、SNSでも弱者男性の自己責任論は強いように感じていますが、じつは自己責任と言い切れない部分が多いのが現状です。

当記事では、弱者男性が自己責任と言い切れない3つの理由を紹介します。

弱者男性が自己責任と考えている人、自分が弱者になったことを自己責任と責めている人はぜひご覧ください。

弱者男性が自己責任と言い切れない3つの理由

弱者男性が自己責任と言い切れない理由は、大きく分けて3つあります。

努力も遺伝で決まる

弱者男性に対して、よく「努力すればいい」という言葉が投げかけられることがあります。

確かに現状を打破するには努力は必要ですし、弱者の立場であればなおさら努力をするべきでしょう。

しかし、残酷なことに努力できるかどうかは両親からの遺伝で決まります。

「努力を続けられるのも才能!」という言葉を耳にする機会は多いですが、これは本当にその通りで、容姿や性格のように努力も親から遺伝するんです。

実際、ミシガン州立大学とテキサス大学の共同実験によって、努力できるかは生まれながらにして決まってしまうことが判明しました。

以下はソースです。

一卵性の双子800組を集めて片方を「裕福な家庭」、もう片方を「環境に問題のある家庭」の2グループに分け、音楽演奏の練習してもらい上達度や実力を計測しました。

2つの環境に分けた双子の演奏技術に差が生じるかを調べる研究です。

結論から言うと、この研究では双子の演奏技術に差は生じませんでした。

要するに、環境の良し悪しに関わらず、努力できるかどうかは遺伝によって決まってしまうということですね。

これらの理由から、弱者男性が自己責任とは言い切れないわけです。

運次第で誰でも弱者になる

弱者男性が自己責任と言い切れない理由の1つは、運次第で誰でも弱者男性になるからです。

どんな人でも鬱になって働けなくなることがありますし、事故や病気によって障がいも持ってしまうことだってありえます。

痴漢冤罪で社会的立場を失い、孤立してしまう可能性だって否定できません。

これらの要素は、本人の努力ではどうにもできないため、一概にすべての弱者男性が「自己責任」とは言えないわけです。

生まれで弱者と強者が決まる

まず、どんな両親を持って生まれるかで「弱者」と「強者」に分かれます。

高収入で裕福な家庭に生まれた場合は強者、貧困家庭に生まれたら弱者です。

これを聞いて「少し大げさでは?」と感じる方がいるかもしれませんが、これはまったく大げさではありません。

例えば、裕福な家庭に生まれた人は高い水準の教育を受ける機会に恵まれ、一般的に高学歴に該当するような大学を卒業する確率が高くなるでしょう。

実際、2020年度に東京大学が実施した「学生生活実態調査」によると、東大生の親の42.5%が年収1050万以上というデータも出ています。

その一方で貧困家庭に生まれた人は、十分な教育を受けられないことが多く、経済的なハンディキャップを埋められず低収入な職業に就職することになるケースも珍しくありません。

就職できて安定した生活を送れる人はまだ良いでしょう。

家庭環境によっては虐待を受け、うつ病を患って働けないままの人だって必ずいます。

前述したとおり、努力できる人間か否かは”遺伝”で決まるため、一度弱者に陥ってしまうと簡単には脱却できません。

これだけの理由があるにも関わらず、弱者男性であることを「自己責任」と切り捨ててしまうのはいかがなものでしょうか。

弱者男性は自己責任と考えがち

じつは弱者男性自身が「自己責任」と考えてしまう傾向にあることが分かっています。

トイアンナさんの書籍『弱者男性1500万人時代』によると、週間SPAが弱者男性500人に「自分が弱者に陥った理由」を質問したところ、75%の男性が「自分が悪い」と回答したそうです。

弱者男性がこのような思考になる理由としては、昔から男性は”男らしさ”を求められ、古い考え方が現代の男性に対する呪縛になっているからだと考えられるでしょう。

多少キツいことがあったとき、他人から「我慢しろ」や「弱音を吐くな」といった言葉をかけられた方は多いのではないでしょうか。

自分の状態をすべて「自己責任」と片付け、自分を責め続けていくことは精神衛生上よくありません。

もっと弱者男性に対する理解が深まっていってほしいですね。