最近のネットを見ていると、弱者男性とチー牛を混同していたり、同一視したりする声を見かけます。
しかし、似ている要素こそあれど「弱者男性=チー牛」は間違いだと私は考えます。
「弱者男性=チー牛」は間違い
SNSでは「弱者男性」や「チー牛」という言葉が頻繁に使用されていますが、これらを安易に同一視することは大きな誤りです。
まず、弱者男性は経済面や社会面において、複数の弱者要素を持つ男性を指す言葉です。
それに対して「チー牛」という言葉は、特定の外見的特徴を揶揄する表現として使われ始めましたが、必ずしも社会・経済的状況を反映しているわけではありません。
チー牛と呼ばれる特徴に当てはまる男性の中にも、社会的・経済的に成功している人は多いです。
ただし、容姿が優れていない男性も「弱者男性」に該当するので、結果として容姿がチー牛と似てしまうということはあり得るでしょう。
なぜ弱者男性やチー牛という言葉が生まれる?
弱者男性やチー牛という言葉は、差別的な意味合いを持つ言葉として使用されることが多いです。
ネット上のレスバで、相手を罵倒するときに使用されているのが良い証拠でしょう。
なぜ、弱者男性やチー牛という言葉が生まれるのか?
これに対する回答は様々ですが、私は社会全体に「男性は強者」というイメージが定着しているからだと思っています。
それ故に「男性は馬鹿にしてOK」のような風潮に繋がり、今もなお差別的な言葉が次々と出てきていると考えられるでしょう。
少なくとも男性を弱者男性扱いしても、差別だと同情する声を上げる人はほとんどいません。
弱者男性とチー牛の容姿が似てしまう理由
弱者男性とチー牛の容姿が似てしまう理由については、学術的根拠があるわけではありませんが、両者が同じ性質を持っているからと考えられます。
学生時代の友人関係が狭かったり、外出が少ない趣味に没頭したりなどにより、ファッションや身だしなみに対して無頓着になりやすいです。
こういった環境で過ごすと容姿を指摘する人もいなくなるため、社会的相互作用が不足し、自然と外見を改善していく機会も減らすことになるでしょう。
言い換えるなら「類は友を呼ぶ」といった感じだと思います。
サブカル系の趣味を持つ人は容姿に無頓着であることが多いので、グループ内で「髪型おかしくね?」と指摘されることはありません。
また、弱者男性とチー牛は自己肯定感が低い傾向にあります。
自分に自信が持てない状態が続くと「どうせ自分は駄目だ」というネガティブな思考パターンに陥り、外見への投資を諦めてしまうこともあり得るでしょう。
弱者男性=チー牛ではありますが、似た要素を持つ者同士であることは確かです。